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よもやま話など  STORIES

ここでは徒然なるままの話などを掲示していくことにしました。

 ◆令和(2019/6)
 元号が平成から令和になり1ヶ月が経ちました。元号とは何かと考える時、必ず天皇とは日本人にとってどのような存在なのか?と考えてしまいます。初代が神武天皇で、彼が東征する際の会議で言った言葉で、彼の先祖のニニギが高千穂に天降ってから179万2470余年経つとあります。現代の科学によれば約180万年前は我々ホモ・サピエンスは存在しない時代になります(アフリカで約20万年前に誕生!)。その時代にアジアを中心に存在していた人類はホモ・エレクトスになります。いわゆる北京原人やジャワ原人に相当するわけで、年代から言えば、天祖ニニギはホモ・エレクトスになるわけです。後に出現するホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタレンシスとの交配は知られていますが、ホモ・エレクトスとの交配は知られていません。ひょっとしたら天皇の祖先はエレクトスとネアンデルタレンシスとサピエンスの三者の珍しい交配型なのかもしれません。そんな珍しい存在だからこそ何らかの不思議な影響力を周囲に与え続け、少なくとも二千年近い長きに渡り、日本の象徴的存在で有り続けられたのかもしれない。
 ◆老朽化(2017/6)
 富山県のスキー場と言えば、立山山麓スキー場が最もメインな場所になります。隣接する極楽坂スキー場、雷鳥バレースキー場、粟巣野スキー場の総称です。今年の冬は雷鳥バレースキ場の一部地権者が契約に納得が行かず初心者用のリフトが利用できなくなり、スキー合宿などが中止となるなどスキー場には大打撃となりました。その追い打ちをかけるように雷鳥バレースキー場の中心的存在だった山頂まで結ぶゴンドラの支柱の一部が老朽化によって今年の春から利用できなくなっています。今年1年調査して復旧をするかどうか決めるようですが場合によってはゴンドラが廃止になる可能性もあります。ゴンドラは通年営業でスキー場上部から行ける鍬崎山登山のルートにもなっています。
 ただ近年の雪不足でスキー場の営業もただでさえ厳しいですから、果たしてゴンドラ復活なるかは微妙な問題です。さらにスキー場の奥にある称名の滝の付近から弥陀ヶ原にケーブルを建設する計画もあるようで、そちらの方が富山県としては観光客も誘致できるので、ひょっとしたらゴンドラ復旧はおぼつかなくなり、立山山麓スキー場は衰退の一途をたどるかもしれません。
 滋賀県の伊吹山は薬草でも有名な山ですが、かつてはスキー場があり冬場は栄えていたそうで山麓には民宿や貸スキー屋もあったのですが、今はスキー場は廃止となり、なんとなくさびれた民宿街となっています。ただ伊吹山自体は登山者も多く、登山者用の民宿になっているようですが・・・
 ◆偽薬(2017/1)
 今週、ハーボニー配合錠の偽薬騒動が発覚した。医薬品の世界で偽薬と書けば「ギヤク」と言ってプラセボを意味することが多いが、今回は本当のにせもの騒ぎだ。奈良県のチェーン薬局で調剤された薬だが、すでに4パターンのニセ薬があるという(ギリアド社資料)。高価格薬価の薬だけにニセ薬を知らずに安価で購入すれば高薬価差益が期待できるということだ。厚労省は今の所、具体的な薬局名や卸先の公表をしていないが、高い薬価差益を期待する薬局が現金問屋から購入したのではないだろうかというのがもっぱらの噂?だ。現金問屋は昔から存在し、正規の卸との価格交渉時に有効活用している医療機関もあったようだが、品質については疑問視されていた。
 それにしても裏の流通過程を通じて表の世界に入り込んできたのだろうが、いつの時代、どの業界にも金の匂いをすばやく嗅ぎつけてやってくる人間たちがいるのには感心させられる。とは言え、人の健康に甚大な被害を与えかねず、あまつさえ医療費(保険料や税金)の詐取であるから犯罪行為であることには違いないだろう。件の薬局、入手先を速やかに公表して被害拡大を防ぐべきではないのだろうか
 ◆平成29年(2017/1)
 年が明けて平成29年となった。私の誕生年が昭和29年、戦後1桁世代などと言われた若い頃もいつしか遠くになってしまった。同じ29年だが昭和29年といえば間に戦争がありので長い歳月が詰まっている印象だが、自分の生きてきた平成の29年はいろいろと個人的にも社会的にもありはしたが、過ぎてしまえば短く感じる。そんな平成も30年で終わってしまうという話が決まりそうだ。次はどんな元号になるのだろうか?楽しみではある。
 ◆富山市市議会議員の政務活動費流用事件(2016/9)
 この所、富山市議会議員による政務活動費のチョロマカシが発覚して辞職が相次いでいる。最初は自民党だけだったが、民進党系にも波及。日常茶飯事で市民の血税のチョロマカシが行われていたと考えざるをえない。知らぬ存ぜぬを繰り返している幹部連中も厳しい立場になっている。結局、自主解散は公明党の賛成いかんの状況まできている。自主解散では現職に留まっている連中は禊が終わったとして再び復帰することだろう。
 こういった時、必ずと言ってよいほど鬼の首を取ったとばかりに野党が騒ぎ出す。それはそれで良いのだが、中心になって怒るべきは一般市民であり、自民党支持者だろう。富山県は自民党王国と呼ばれるほど自民党支持者の多い保守的な県民性がある。今回の事件はその県民性を逆手にとったような裏切り行為といえるだろう。権力の座にいつまでも居座っている者には、権力にすり寄ってくる者が多くなる。ますます襟を正して、公平で正しい政治を目指して欲しいものである。
◆地震の国の原子力発電(2016/5)
 熊本地震で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。今回の地震はこれまでにない余震の数で新たな地震のパターンを示唆しているとされています。一度目の震度7で持ちこたえた家も二度目の震度7で完全に倒壊してしまった例がいくつも紹介されていました。震源地からさほど遠くない川内原発は地盤の固さの確からしさからまだ操業を止める段階ではないと判断されている。現段階での科学の力を駆使して安全だと保障した地盤は確かに今回までの地震では揺らぎが無さそうである。しかし何度も何度も繰り返し襲い来る余震に対してこれまで安全だとされている地盤がいつまで安全たりうるのだろうか。二度目に倒壊した家のように想定外の度重なる揺れで安定した地盤も影響を受けていないのだろうか。定説は新たな発見によって覆されるのは科学の常だ。つい最近まで人間の細胞は60兆個と言われていたのに、最近では37兆個が定説になっている。まだ終息をみない福島原発事故を謙虚に受け止めるならば一旦操業停止などの案が出ても良さそうだが電力会社、政府ともそのそぶりもみせない。禁断の果実を手にした人間はその果実を冷静な判断で処理しきれなくなっているようだ。
 ◆戦争法って、何?(2016/2)
 一部政党や団体が「戦争法」に反対とか廃止と叫んでいる。彼らが言う所の戦争法であって、対象となる法は通称「安保関連法」だ。「戦争法」はこの世に存在しない。有りもしない法律に反対してどうなんだと思ってしまう。「違憲な安保関連法」に反対とか廃止なら分かるのだが、違和感を覚える。確かに「戦争法」というと分かりやすいかもしれないが、あまりに感情に走り過ぎた表現で揚げ足を取られかねない表現だと私は思う。
 最近、防衛庁の制服組の勢力が背広組の勢力を追い込んでいるというニュースも聞く。70年以上も前にあった軍の暴走を、また繰り返されかねない状況になりつつあるようで不安だ。ただ、日本への侵略を許してはいけない環境を日本の中に形づくる必要があるというのは世界の情勢からみても認めざるをえない。いかにシビリアンコントロールを実効性にあるものにできるかが問題だろう。
 ◆びっくりぽん(2016/1)
 昨年末、NHKのTVにはまってしまった。1つはまっさんの総集編。昨年秋に北海道の札幌に家族全員が久しぶりに集合し、小樽や余市にも立ち寄る。まっさんの舞台も余市で、朝ドラ初の外国人ヒロインというのもあり、ついつい見てしまった。その翌日は現在放映中の「あさが来た」の前半総集編。朝ドラ人気もうなづけるなと思いながら、これも見てしまいそうになったので、ビデオに録画して何とか年末の仕事をやりこなせた。こんなに朝ドラにはまるとはびっくりぽんである。
思い返してみれば少年期、母親が朝ドラにはまっていたのを思い出す。当時は1年間ものだった。当時も年末に総集編をやっていて、私もおはなはん(樫山文枝)、旅路(日色ともゑ、横内正)が印象に深い。特に旅路の竹林で二人の男女が逢引きするシーンに心ときめかせた記憶がある。
 ◆世界史(2015/11)
 世界が何かと騒がしい昨今、世界史をもう一度概観してみたいと思いたつも高校時代の世界史の教科書は今は無くので、本屋へ行くと「もう一度読む山川世界史」という私に要望にぴったり合う本があった。高校の歴史の教科書を一般購読者向けにリメークしたものだという。読み進むうちに人類というのは戦いの歴史の繰り返しであるというのをまざまざと感じてしまう。ある支配があると、必ずそれに不満を持つ集団が現われ、その支配者を倒してしまう。もしくは不満集団が多くなり国情が不安定になった所を外から力を持った者がその国を横取りしてしまう等々。結局、今の世の中も人類の長い長い戦いの歴史の一部でしかないと思い知らされる。今の日本の一見、平和な時間もいつまで続くのか分かったものではないと改めて思うのである。
◆方言(2015/10)
 最近、県外に嫁いだ娘がラインのスタンプで富山弁のスタンプを使い始めている。私自身は小学校6年まで概ね関西にいたので関西弁がベースであったが、その後、金沢へ移動し何気に金沢弁を話し、大学へ行ってからは共通弁のようなくせのない話し方になり、富山に来てからもそれが続いていた。子供たちは根っからの富山生まれの富山育ちになったので、富山弁がベースで、私もそれにつられ、また患者との会話で次第に富山弁をしゃべるようになった。しかし、純粋な富山弁に聞こえないと指摘される。関東の人間が関西弁を話すのが不自然に感じるような感じなのだろう。金沢にいた頃しゃべっていた金沢弁も実はネイティブな人達にとってみれば不自然に感じられていたのかもしれない。しかし、方言は地域性も出て、良いものだと思う。その土地の歴史すら反映していると思う。全国チェーンが進出して、全国に同じような建物が建っているが、言葉は残して行きたいもの。
◆隠す(2015/9)
 第二次大戦末期、フィリピン海戦にて日本海軍は自分達の攻撃が上手くいったと信じ込み、大本営にも連絡。ところが間もなくアメリカ軍の損害は無く、全くの誤認であったことが発覚する。にも関わらず自分達のミスを隠すため日本海軍は大本営に真実を伝えなかった。大本営はフィリピン沖海戦が日本海軍の勝利と信じ込まされ、結果的に無謀な作戦を遂行するも、当然のごとくアメリカ軍の前に屈することになる。自分の責任になるのを怖れる、体面を気にするなど色々な理由があって、人は真実を隠そうとする。今回、栃木県での洪水で行方不明者が15名いたと公表していたが、既に14名が前日までに生存確認できていたという。何故、直ぐに発表しないのだろう。例えば現場の人やボランティアの人が行方不明者のために心を痛めていたとしたらどうなのだ。他にも、何故公表が遅れたのかという報道は枚挙にいとまがない。
 しかし、過ちを認めて公表するのは勇気がいるのも確かだ。つい自分の保身を思ってしまう。隠せ通せるものなら隠していたい。それが本音かもしれない。調剤過誤、もし相手に健康被害が無さそうなら黙っていたい。などという発想、どこかでしていないだろうか。
 
 ◆不戦の誓い(2015/8)
 11世紀から12世紀にかけて奥州平泉を中心にして栄えた藤原家三代、清衡、基衡、秀衡がとっていた施策に不戦の誓いというのがあった。これは先日、盛岡在住の菅野彊先生に教えてもらった事であるが、当時、奥州藤原家は朝廷や平清盛、源頼朝等と一線を画し、防衛に徹し、自ら侵略するような戦争をしなかったとされるものである。まさに憲法九条に他ならないという訳である。当時から戦いで生じる深い人としての悲しみ、無常観を理解していた清衡が貫いた方針だとされる。
 最近、安保法案に対する安倍政権のごり押しが強くなっている。世論の大半が反対している今回の拡大解釈法案。70年前の敗戦(終戦でもよいが)の体験を踏まえ、平和を希求する国家に舵を取ったはずの日本の舵取りを間違えて欲しくないものである。無論、攻めてこられたら守り抜くための防衛力は強化する必要はある。平和を希求していた奥州藤原家も鎌倉幕府によって潰されてしまった事実は重く受け止めなければならない。
 ◆歴史は繰り返されるのか(2015/7)
 自民党と公明党が日本の国防を確保する名目で安保に関する法案を通してしまいました。先の衆院選で国民が自民・公明を過半数にしてしまったツケが回ってきたといえます。ツケとは何か、何でもやりたい放題にさせる権利を与えた事。論議を尽くして過半数の意見で決定するのが民主主義の基本であれば、理に叶っていると言えるでしょう。しかし、安倍政権に期待していたのは産業の活性化、生活向上であったはず。それが戦争の危機をはらむ法案を出してくるとは一般の人は誰も思いもしなかったでしょう。何故、違憲と言われる法案を通そうと今、焦るのか。かつて日本に原爆を落とした野蛮な一面も持つアメリカの方針に追従する姿が見えてきます。それに平和の党を公言している公明党が追従しているのも解せないところです。公明党も今、野党であれば、恐らく真っ先に反対表明をしているのでしょうが・・・
 日本が攻撃された際に十分な防衛力を持つための軍備が必要であるというのは私も賛成である。自分のテリトリーを侵されて黙っているようじゃ独立国家ではないからである。しかし、そこまでの解釈であれば現在の憲法9条で十分対応は可能だし、十分に対外的な抑止力になりうると思う。現在の法案は戦争になりうる危機に陥らせる法律であるという点で合憲とは言えない。そして、合憲ではない法律はありえない。
 若者の人口減少、我々薬剤師界ですら人不足、色々な分野での人不足が言われている。海外派兵に行かせるだけの余裕もないはずだ。そこで浮かぶのが徴兵制の復活。暗い戦争の記憶を持つ人たちがいなくなるこの時期を狙って、再び暗い時代(戦争企業家にとっては黄金時代)を復活させようというのだろうか。そして、平和を願い、平和を訴える人々を国賊と呼んで弾圧する時代がくるのだろうか。「歴史は繰り返す」と古代ギリシャの歴史家トゥキディデスが言ったとされる言葉が呼び起される。
  ◆原風景(2015/6)
 先日の研修会で大阪の岡町にある薬局に勤務されている女性薬剤師と話をする機会があった。急に懐かしい思いが湧き出してくる。岡町は阪急電車の駅名でもある。宝塚寄りの一つ先の駅が豊中。豊中は私の中学時代まで母方の祖父母が暮らしていた町である。戦前は丹波の方で二人とも学校の先生をやっていたらしいが、戦争が終わり諸事情もあり町へ出てきたらしい。何をしたかというと阪急豊中駅西口を出て右に曲がって直ぐにあるお菓子屋さん経営である。さとやと言った。平屋であったが屋根裏部屋もあり、倉庫代わりにはなっていたが宿泊もできた。店の裏に居間があり、土間におりた台所の先に阪急電車の線路があった。細い通路が線路沿いにあり、線路との間に垣根があった。豊中駅は急行電車が停車する駅で家の裏の線路は緩くカーブを描いたので、駅に入る電車や出る電車とも毎回ゆっくりとスピードを落として走る。それも、車輪と線路の軋む音を立てながら。キーン、キーンという音が耳に触るが、不思議なものでしばらく経つと慣れてくる。軋む音は線路や車輪の鉄を削る音でもある。線路の下の敷き石はもちろんだが、線路側にある垣根や家の壁や屋根も鉄さびで赤茶けた風景となっていた。お菓子屋の右隣りにはナルシスというバーがあった。実はここも祖父が経営しており、雇われマダムが夕方になるとやってきた。それまでは誰もいない空間である。居間から扉一つで続いているので、よく中に入った。開店前で薄暗く、ひんやりとした空気が漂う。煙草とアルコールの残り香だろうか一種独特の香りが漂う。おつまみに出したのだろうかラッキョウの臭いも鮮明に覚えている。何をする訳でもなく薄暗い空間で臭いを楽しんでいた。さとやの店の前には広場があった。よくそこへたこ焼き屋の屋台がやってきた。今では無いかもしれないが、当時は夕方近くになると屋台を運んでたこ焼き売る人達がいた。たこ焼きをくるくる回して焼く風景を見て、父親にたこ焼きをよく買ってもらっていた。
 数年前、学会の折りに阪急豊中駅に行ってみた。駅は高架になり、当然、昔の祖父母の家はなく、よくある変わり映えの無い駅風景に変わっていた。
 ◆戦争を知らない子供たち(2015/5)
 1971年2月にレコード発売されたジローズという二人組フォークシンガーによる反戦歌である。私の高校時代で、当時はベトナム戦争真っ最中であり、日本はアメリカ軍に基地提供をして間接的に戦争に参加していた時代である。そのような背景から当時は反戦歌なるものが流行っていた時代でもあった。
 そして、今、戦争を知らない子供たちが政治の中枢にいる時代になっている。積極的平和主義という一見、平和主義を貫くような意味に見えて、実は平和のためには戦争も辞さないという目論見が隠されている表現でもある。動物から進化したはずの人類だが、生き残りのための闘争ばかりは捨てきれないでいる。人類が生き残っていくためには仕方ないことであるが、それをギリギリまで抑えられる叡智が人類には備わっているはずと信じたい。
 戦争を知らない子供たちは私も含めて戦争体験者の親や他の高齢者の話、読み物でしか知る術は無い。先の大戦を踏まえて学んだことや痛みを忘れてはならないのだが、戦争を知らない子供たちは時代を経るに従い忘れてしまうかもしれない。
 闘争本能に従う方が施政者としては楽なのかもしれないが、第二次世界大戦に日本を導いた政策が再び行われないように国民が政治に関与できる内(自由な発言、選挙権の行使)に政治的な関心を持たねばならない時期にきている。しかし、最近の投票率の低さは気になるところである。
◆医薬品のもったいない化(2015/4)
 医薬分業は患者の安全で有効な薬物療法を行うために実施された。これが本来の目的でなければならないのでしょうが、医療費の抑制、中でも医薬品費抑制のために、医薬分業が政治的に推進されたと誰もが思っている所でしょう。ある程度の医薬品費抑制効果が出ているとしても、全国で55,000軒を超えてしまった保険薬局に備蓄されている医薬品をかき集めると膨大な数になるはずです。そして、それに比例して無駄になる医薬品の数も医薬分業前と比べるとかなりの数になると推測されます。医療保険での薬剤料は減少しても、無駄になる医薬品が大量発生する。資源の無駄使いに他ならないでしょう。飲食業界で見られる食べ残しのような状態になってはいないでしょうか。特にジェネリック医薬品。医療保険の薬剤料には何の影響もないので政治的には何の手だても講じないのかな?
 ◆ある元大学教授の思い出(2015/3)
 昨年九月、私の大学の出身研究室の元教授が亡くなられた。詳細は伏せるが、彼らしい死に方というのか、多分そうだと思う。彼の事を色々と言う人もいるようだが、とても交友関係の広い先生でもあった。
 ある日、教授室で鍋パーティをしようと言い出し、「足立、付いてこい」というので当時の薬学部の前にあった美術工芸大の先生の所にお邪魔する。どこかの飲み屋で意気投合したらしく美大の先生が作った巨大な取っ手付き鍋を借りる事になったのだ。私はその重い鍋の運び役であった。教授室に戻ると二台のコンロの上に乗せて鍋料理をしたのであった。その鍋はしばらく教授室あり何度か利用させてもらった後、お返しした。
 また、当時は今のようなワープロや拡大コピー機も無かった時代だった。私がタイプライターで作ったアミノ酸組成表が小さくて見難いというので、教授がこれを拡大する方法があるんだと言い出す。それで、工学部の何々研究室へ持って行って拡大してこいという。確か助手の先生と一緒に、その研究室に伺うと、部屋に箱状の機械がいくつか並んでおり、それらがベルトコンベアーらしきもので連結されている。端っこに私の原稿をいれて二十分位かけて端の機械から拡大された私の原稿が出てきたのである。当時の拡大コピーは研究室の部屋一つ分なければできなかったのである。
 ある日曜日、教授は教授室にて仕事。私は大学院生で培養細胞を扱っており、植え継ぎ培養や一通りの実験を終えて、後は結果を整理するだけの状態だった。当時、コーヒーを飲んだりできる場所は教授室だけだった。教授室は奥と手前が本棚で区切られ、奥に教授の机があり、手前には黒板があり、セミナーや飲食ができる場所になっていた。一息ついたので教授室でいつものようにコーヒーと煙草(当時、私は喫煙者)をして休んでいると、奥から教授が出てきて「暑いな、足立一人か?ビールでも飲まんか?これでサッポロの黒ラベル買ってきてくれ」と紙幣を渡される。当時、サッポロの黒ラベルが出始めの頃で、結構うまく研究室のはやりでもあった。で、ビール数本とつまみを買って帰り、教授と二人で何の話をしたのか忘れたが飲む。買ってきた数本は全て空けてしまい、当時それほど酒に強くなかった私は結局、午後は全く実験の整理もつかず研究室の自分の机で半分寝ながら酔いを醒ますだけだった。その後、就職してからも、隣りの県に在住していた関係もあり女房と1,2年に一度訪問していた。その度に「足立、今日は奥さん運転手だから飲めるだろう」と誘われ、断る理由もないので彼が愛飲して止まないワインを御一緒させて頂いた。
 後年、病気の関係で酒は控えるように言われていたようだが、教授が亡くなられた後、部屋を整理していた奥さんが、焼酎の瓶が空いたのも含めて何本も出てきたわとあきれ顔で話されていた。とにかく、お酒の好きな教授でありました。(合掌)
 
  ◆スクーター(2015/3)
 仕事の移動手段として自動車を利用する機会も多いが、雨の降らない日にはバイクも利用する。バイクと言ってもスクーター仕様車である。大学生時代からバイクは車と並行してずっと乗り続けている。最近までヤマハのマジェスティという250ccのスクーターに乗っていたが、年齢的にこの先何歳まで自動二輪車に乗れるかと考えた時、今しかないと思い、二年前に400ccの同じくヤマハのグランドマジェスティに乗り換えた。何が違うか、馬力が格段に違い楽に追い越しができる。車体が重いので風に安定。しかし、重いので取扱いが難儀(特に歩くような速度で動かす時や倒れそうな時)。車検が付く(費用がかかる!)。燃費が若干悪い。何かと差し引いても、楽に遠乗りができるという点で良しとしている。私は特にスピード狂でもないので、一気に加速したら法定速度を守って走る安全運転ドライバーのはずだった。
 しかし、昨年、夏、まさか前の車が止まるはずがない場所で、私は路上で引かれた狸をつい見てしまった。前から目を離したその一瞬に、前の車が急に減速。私は衝突を回避するためにブレーキをかけながら車体を左に倒しつつ左足をつきながらゆっくりと転倒。もともとスピードもゆっくりだったので、衝突は回避でき、自分も愛車もかすり傷(それでも悲しい)ですんだ。それにしてもバイク歴38年目にして初めての転倒事故は私に老化現象の教訓を与えた。今回の事故は老化による判断力・瞬発力の低下が減速する前の車の発見に遅れを招いたのだと思うようにした。
 還暦を迎えた今、若い頃と同じ判断力や瞬発力を持っているはずがないのだ。相応の安全運転を心がけようと思った次第。
 
 ◆高校サッカー(2014/1)
 先ほど、建て替え前の最後の国立競技場での高校サッカーが終了しました。決勝戦は富山県の富山第一高校と石川県の星陵高校。この北陸勢の決勝戦でも大感激だったのに、富山県代表が優勝しました。準決勝ではPK戦専用のGKの存在、決勝戦では2点ビハインドでの終了1分前のPKによる同点から延長戦での得点と、様々なドラマの非常に面白い戦いでした。フィールド競技は雪国では不利と言われて久しかったですが、最近はその定説も覆りそうです。その裏では様々な工夫や努力があったと思われます。県外からの留学という手法もありますが、少なくとも今回の富山第一高校は地元中心とのこと。まずはめでたいと言わせてもらいましょう。
 ◆ことと言うこと(2013/12)
 何気なく会話や文章で”こと”という言葉を使っていないだろうか?例えば、大変なことになった。旅行のことは任せて。見ることができない。山登りはしたことがない。進行を止めることができない。昔、文章を書いた結果を添削してもらった時に、”こと”の表現があまりに多過ぎますと指摘されたこと(経験)があった。確かに、文章を見返してみると”こと”のオンパレード状態で、客観的に見ると読みづらいし、何となくぼかした表現となって雰囲気も悪い。ことも結局は代用語の1つなので具体的に何かを明確にしておいた方が良いと思った。しかし、いざ直してみようと思うと、何だか硬苦しい表現にもなる。適度に散らばせるのも手法なのだろう。手元にある国語辞典で”こと”を調べると、事;@人間が経験・想像する対象のうちで、時間の推移と共に変化して行くと考えられるもの。又はその変化の過程。A人間の行為の一コマ。B人を表わす名詞に伴って・・・に関して言うならば。とあった。分かりにくい表現もあるが、事例も書いてあったので、なるほどと納得する。
 ◆呉羽丘陵(2013/1)
 富山県には富山湾を面した富山平野がある。その中間あたりを南北に横切るのが呉羽丘陵で、標高にして100mほど。30年以内にそこにある活断層がずれるかもしれないとも言われて久しいが、その断層が西側から押し上げられたようになっているため西斜面はなだらかで、東斜面は急斜面になっている丘陵である。富山ではこの丘陵の西側を呉西地区、東側を呉東地区と大きく二つに分けて呼んでいる。先日の晴れた日にそこを散策してきた。年頭に降り積もった新雪もあり、今年初のカンジキハイクとなった。いくら低山と言えども、冬の山に登れば雪山。まわりの木々の葉も落ち、見通しの良い山の中であるが、山道は雪で覆われているのでどこを歩こうが勝手。
 今年は冬山での遭難事故が特に多いように思う。それも高山から低山まで、登山ブームも良いが、自分は大丈夫だと決め込んでいるのだろうか?という私も一人低山の雪山の中にいる。誰も通った跡もない。装備は万全だ。でも慢心はないか?低山だと馬鹿にしてないか?などと自問自答しながら下山する。3時間半の山歩きであった。
        
 ◆戸倉山(2012/11)
 先日の快晴の日曜日に富山県の直ぐお隣の糸魚川にある970m程度の山に初めて登ってきました。途中から雪道になりましたが、往復2時間程度の気楽に登れる山でした。途中、白池という池があり、正面の雪で飾った雨飾山が神々しく輝いていました(下の写真左)。山頂は20cm程度の積雪でしたが、360度遮るもの無しの白馬岳方面などの山々が絶景でした(写真右)。こんな時期ですが山好きな人もいて山頂には私を含めて五人いました。
  
 ◆義理の自分(2012/9)
 自分の子供たちが結婚という時期に近づいてくると、何気に気になるのが義理の息子とかの表現。自分が結婚した相手に兄弟姉妹がいると、義理の兄だとか、義理の妹という表現をする。では自分の子供が結婚をした時、自分の娘の相手は義理の息子になるのは感覚的に理解できる。では、相手の母親はどう呼ぶのか?義理の妻なのか?そして相手の父親はどう呼べば良いのか?義理の自分なのか・・・「先日、義理の自分と飲みに行きましてねえ」なんて会話は世間にはないですな。
 ◆山歩き(2012/8)
 唯一と言っても過言ではない私の趣味に山歩きがある。登山とまで言わないのは自分自身に体力がないせいがある。大学生の時に山好きの同級生からテント泊の白馬岳縦走を教えてもらったのが登山の初め。30歳を機に実施した中途半端な禁煙。そして禁煙での体重増加を気にして再び始めたのが登山。30歳代の頃は剱岳や薬師岳や笠ケ岳の日帰り登山など、ある程度体力がある人でないとやらない登山をしていた。しかし、寄る年波と一向に減量できない過剰な脂肪分が、登山を山歩きに変化させている。過剰な脂肪分をカバーするだけの若さが無くなっているのである。先日もキャンプ泊で立山・大日岳周辺を散策した。その時出会った70歳代の矍鑠とした高齢者登山隊のリーダーはスリムボディの男性であった。メタボ体型では老い先の登山時間は限定されると痛切に感じる山歩きでもあった。それにしても最近の登山ブーム、中高年者は言うに及ばず、一人歩きの山ガールも多い。服装も何やら華やかで昔ながらの野暮ったい風体の私は浮いている感じもなくはない。しかし、山ガール用の服装は体型がくっきりと出てくるため、メタボ系中高年の山ガール姿は胸よりもポッコリ腹が飛び出している。女性ホルモンは中性脂肪を増加させる作用がある。従って、更年期を終えたであろう彼女らが何故、あれまで皮下脂肪を局所的に貯め得るものなのか?バテテ座り込む私の前をおしゃべりしながら元気に通り過ぎていく脂肪の塊りを見ながら不思議に思うのであった。
  ◆ジェノサイド(2012/7)
 意味としては、大量殺りく、それもある民族を根絶やしにするような殺りくを表現する言葉のようですが、あるミステリー小説の題名でもある。36億年前に地球上に生物が出現して以来、生物は進化を遂げてきた。人類も進化をしてきた。現生人類が旧人類を滅ぼしたように、進化型は旧来型を滅亡に追い込む可能性が高い。そして、その進化は現在進行形で現生人類にも起こり得る。そのような前提で、物語は強大な権力を誇るアメリカと人類誕生の地とされるアフリカと、そして日本を舞台にして展開される。最初の1/3はあまり読み進まなかったが、途中からは一気に読み進めるほど話の展開が面白い。特に日本では薬学の知識がふんだんに出てくる。薬の知識を持った方にも是非お勧めしたい本である。また著者の取材力とそれらの取材結果を結び付け1つの物語を構成させた能力に脱帽させられた次第。
  ◆文系と理系(2012/6)
 先日、ある薬局で病院の薬剤師も交えて薬剤師の在宅患者訪問薬剤管理指導(もしくは居宅療養管理指導)に関する講義をしました。私自身の体験談も交えて解説をしてなんやかんやと質疑応答があり、最後に病院の薬剤師からの感想が一言。「薬局の仕事ってなんだか病院の仕事と違って文系の印象がありますね」と。なるほど、これまで思ってもみなかったけれど、結構、人間関係が泥臭く関わってきて、1足す1は2的な理系的な雰囲気はないかもしれない。病院の現場だって同じだろうが、やはり薬局の方がより文系的な印象が強い。そういえば病院の勤務医だった医師が診療所に移った際もそんな感想を述べていた記憶があるなあ。
  ◆不可能への挑戦(2012/6)
 人間は長い歴史の中で不可能なことを可能にしてきた動物と言えるかもしれません。飛行機のように重たい金属を長時間飛ばしてみたり、地球の外へ行ってみたり、ある種の癌の治療を可能にしてみせたり、人間の遺伝子のDNA配列を決定したり、さらには自然の驚異を防ぐための防衛設備・対策システムを構築したり、放射能を封じ込めようとしたりと。放射能という怪物を封じ込めるという不可能への挑戦は人間のもつ性なのかもしれません。しかし、一部の科学者や為政者の挑戦が多くの人々や自然までもを危険に巻き込みかねないような不可能への挑戦だとするならば、それはするべきではないと思います。
 ◆調剤併設型ドラッグストアの商売っ気(2012/6)
 最近は調剤併設型(処方せん調剤も受け入れる)ドラッグストアが増えてきました。最近、調剤を併設したあるチェーンドラッグストアの看板を何気に見ていますと、「酒」の表示の下に「調剤」の表示が堂々と掲載されていました。確かにドラッグストアは日用雑貨から酒類までおいてあるところがあります。しかし、処方せん薬は人の命を預かる医療の一環をなすもの。私も酒は好きだが、酒と人の命を預かる医療を混在するような表記の仕方は、調剤も商売の一環として考えているに過ぎないという会社方針のような気がしてなりません。調剤を担当する薬局はドラッグストアと言えども医療機関としての立場を明確に示すべきだとその看板を見て思った次第。
   ◆偉人伝(2012/5)
 千円札の肖像画にもなっている野口英世は幼い頃受けた火傷や貧困のハンディを乗り越え医者となり、さらにアメリカに渡り世界的な医学者として名をはせた。と立志伝、偉人伝にも掲載され、私も幼い頃に読んだり、TV番組まであったと記憶している。その彼が当時使用していたのは光学顕微鏡であった。いくら性能が良い光学顕微鏡といえどもウイルスのような極小さな物までは識別はできない。それを見るには電子顕微鏡の出現が必要であった。英世は当時幾多もの病原菌微生物を発見した。しかし、彼は何を見ていたのだろう。現在ではその病原体がウイルスとされているものまで・・・後半の彼の人生は私生活の自堕落さも含めて、子供たちに読み聞かせるには別の意味で悲しい人生だったようだ。しかし、大人になった我々には妙に共感できるから不思議だ。人生っていろいろあるさ・・・・(「福岡伸一著:生物と無生物のあいだ」より)
  ◆男と女(2012/5)
 地球が誕生したのが46億年前。初めての生物が誕生したのが36億年前。そして10億年ものあいだ生物はメスだけが存在していた。しかし、単為生殖は自分のクローンしか生み出せない欠点をもつ。環境変化に対応できず絶滅する可能性のある弱い存在でもある。環境の変化に耐えうる子孫を残すために生物界はオスを世に送りこんだ。オスの存在によりメスは他のメスの遺伝子を取り込むことが可能になったのだ。その結果、個体は多様化し環境に適したものが生き残れる可能性が高くなった。
 受精卵は当初細胞分裂を繰り返しやがて個々の器官へと分化し始める。そこまでは男女の区別はない。むしろ女性として成長しているのだ。ある時期が来てあるタンパク質がY染色体上の特殊な部分に結合する。そこからmRNAが合成され、さらにあるタンパク質が合成される。その蛋白質は他のDNAに働きかけ、男性ホルモンを合成する仕組みを作り上げる。女性として成長していたXY染色体を持つ個体の隅々まで男性ホルモンがシャワーのごとく降り注ぎ、個体を男性化させていく。自然に放置すれば女性という完成型でいられたものに、様々なアクションが加わって男性が作り上げられていく。未完成な個体になる確率は女性よりも男性の方が高いのかもしれない。(「福岡伸一著:できそこないの男たち」より)
 ◆分水嶺(2012/4)
富山県の砺波市から国道156号線で岐阜方面へ向かう途中の山中に分水嶺公園という小さな何という事はない公園がある。小さな池の前に立つと正面の山から流れてくる小さな小川が見える。そして小さな池から左右に流れは分かれていく。右に行けば富山平野に注ぐ庄川になる。左に行けば濃尾平野に注ぐ長良川になる。始まりは小さなせせらぎだが、北と南に分かれてゆくゆくは大きな河となっていく。なんとも感動的な出発点だと密かに思ってしまうのでした。
  ◆人生で一番ひまで穏やかな気分になれる時(2012/4)
おそらく、これから何年か先に訪れるであろう現役を退いた後から死ぬまでが人生で一番ひまなのかもしれない。しかし、これまでの人生振り返ると、高校卒業してから大学合格発表を見に行ってからの数日間が人生の中で一番ひまで、心も穏やかな気分であったと感じる。受験勉強からの解放感と次の大学新生活へのプレッシャーを感じる前のほんの数日間。春のうららかな日差しの中を歩きまわったり、明るい部屋で好きなLPを聴きまくったりとした時間が・・・。
 ◆春を感じる(2012/3)
ローカルな話ですが、私が仕事で通る場所にコマツ富山の作業場があります。夏場は大中小の除雪車が並んでいる所です。11月中旬にもなると少しずつ除雪車がそこから消えていきます。市町村の名前が車体に書いてあったり、道路公団の名前すらあります。そして12月にもなると広い敷地内から除雪車はすべて消えていきます。あー、今年も冬が来るなあという気持ちになるのです。反対に、3月の声を聴くと除雪車たちがそこの広場に1台また1台と戻ってきます。あー春なんだなあと感じる一時です。
 ◆薬学6年生の就職先(2012/3)
今年、薬学部が6年制になって初めての卒業生が世にでます。最近聞いた話では、某大学薬学部の今年の卒業生で保険薬局の内定者はゼロ名、病院も数名程度と聞きました。あとは製薬企業への就職だそうです。人数不足の中でも学外実習の面倒をみてきた保険薬局や病院薬剤部などにとってみると「何なの?!」という感じです。6年制の学生も卒業研究で研究室に配属されている間にいろいろと感化されるのかもしれません。


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